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行道館 田島道場

道場創設者
創設者       田島 行一(八段)  

生年月日      明治36年  3月27日

元職         群馬県柔道連盟常任相談役
            県柔道場連合会名誉会長
            群馬県柔道連盟最高審議会
            群馬県高段者推薦委員会副委員長
            群馬県警柔道師範
            群馬県柔道連盟副会長
            県下各学校柔道教師
            県柔道連合会会長

 「氏を語らずして、群馬県柔道界を語ることは出来ない。」とまで言われる人物。県柔道界の重鎮として、その名声は広く知られている。氏は、東京都東村山市奥多町で出生。田島家は清和天皇の流を汲む旧家名門である。
 氏が柔らの道に入ったのは、東京日本橋の(合)岡野商店勤務中のことで、京橋にあった高橋先生の道場の門を叩く。のち、高橋先生に“スジ”の良さを見込まれ、当時警視庁の接骨試験官を勤めていた竹岡宇三郎先生の道場を紹介され竹岡先生に師事する他、道場教師(故)九段佐藤金之助先生、その他の諸先輩に学ぶ。大正10年2月、講道館に入門。同年4月、抜群の成績で初段を取得。大正13年、横須賀重砲兵連隊に入隊、陸軍で最初の柔道部を創設、主任教官を命ぜられる。また、模範兵として表彰を受く。昭和2年4月、弘道館道場に入門、範士八段(故)関口孝五郎先生の教えを受く。同年11月、明治神宮大会(青年団)に出場。昭和3年1月、三段に列す。同年4月、前橋刑務所柔道教師となる。昭和4年11月、明治神宮大会に出場、優勝者五段皆川国次郎氏と第三区決勝試合を行う。昭和6年1月、4段に列す。同年4月、大日本武徳会群馬支部演武大会に於いて個人優勝、梨本宮殿下より銀カップ一対拝受。同年5月、大日本武徳精錬証授与。昭和9年5月、大日本武徳会錬士号授与。同年5月、皇太子殿下御誕生記念展覧試合に一般府県代表選手として出場。同年11月、陸軍特別大演習記念台覧武道大会に警察官代表選手として出場。昭和10年1月、五段に列す。同年11月、全国警察官大会に出場ベスト12に進出。昭和11年より昭和29年まで群馬県警本部柔道師範を務める。昭和12年5月、大日本武徳会教士号授与。同年、大日本武徳会柔道教師(嘱託)。同年11月、府県代表として明治神宮大会に出場す。昭和15年7月、群馬県知事より武道功労賞を受く。昭和16年4月、県立前橋商業学校柔道教授(嘱託)。同年11月、専門家代表として明治神宮大会に出場。この間、講道館紅白試合、月次大会、全国高段者大会、大日本武徳祭演武大会など各種大会で活躍、その名を馳せた。昭和18年1月、六段に列す。昭和25年5月、七段に列す。同年5月、全国高段者大会に於いて技術優秀賞を受く。昭和38年5月、八段に列す。昭和29年6月13日、現在地に行道館田島道場を創立、今日まで、柔道を通じて青少年の健全育成に全力を傾注してきたのである。その指導力には定評があり、全国少年練成柔道大会優勝に導いた。生涯、後進の指導育成に努め、安部九段を筆頭に高段者を育て上げた。そのほか様々な役職を歴任、また表彰を受ける


二代目館長      田島敏隆(六段)

生年月日        昭和12年7月16日

元職           群馬県柔道場連合会名誉会長
              群馬県柔道場連合会会長
              群馬県柔道連盟普及部長
              群馬県接骨師会前橋地区支部支部長

 長野県長野市信更町で出生。県立犀挟高校入学と同時に柔道を始める。高校ですっかり柔道の魅力にとりつかれ、卒業時柔道を続けたい一心で上京を決意。お菓子のかりんとうで有名な東京新宿の中村屋へ就職。好きな柔道は東京中野区の浅見道場に入門、師範・故浅見三平先生(九段)のもとで修行。この間、都内の各大会に選手として出場するとともに柔道の形に熱心な浅見先生の指導により、各大会で形演技をする。
 浅見先生の勧めで柔道整復師を志し、昭和39年東京柔道整復師専門学校へ入学。昭和41年4月23日道場創設者田島行一の長女由紀子と結婚し前橋の住人となる。前橋の関口整形外科病院にて2年間修行その後、田島接骨院、田島道場を継承し2代目院長・館長となる。指導力には定評があり、男子の関東チャンピオンはもちろん女子の関東チャンピオン、全国大会出場者を多数育て上げた。青少年の柔道普及に対する熱意が高く温和な性格・人柄により柔道を通して立派な社会人が多数田島道場から巣立っている。

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